黒川駅周辺案内(その2、平手政秀特集)

The Kurokawa station circumference guidance



昭和9年完成の志賀公園で戦前市内では鶴舞、中村と並ぶ老舗公園でした。名城公園(旧第三師団錬兵場)、
白川公園(市街地で戦災後一時期占領軍家族の住宅)、庄内緑地公園(河川敷で桑の木畑)などは
戦後設立です。

平手政秀宅址
公園コース史跡コース織田信長 の補佐役であった平手政秀邸跡の
彰徳碑である(北区平手町志賀公園内)。この由緒ある地を長く保存するため
志賀公園として整備されて、周りの住宅開発により市民に親しまれています。
黒川駅から北西約700メートルのところにあります


志賀公園内の「歴史の音」モニュメントと左上は石碑に刻まれた碑文。


平手政秀邸址。人間、人生の最高の「死」をもって諌言するという・・・・、信長自身(19才)も
「じいつ・・・・」と言ったまま政秀の遺体にすがり長く長く号泣したものと思われますその3年半後
稲生の合戦で、危うく平手政秀が心痛した不穏な謀反にあい、難を逃れ以後天下取りに突き進んだスタ
ート原点では、平手政秀の崇高な死が無ければ・・・・と思う由縁です。信長は霊を弔う為中区大須に
政秀寺を建立した。平手政秀邸址や稲生の合戦場の近くに住む者として忘 れることが出来ない重要な
史跡であります。現在もこの付近は北区平手町です。 平手政秀邸址


平手政秀邸址に建つ2本の説明立て札。
西志賀城(北区平手町二丁目、志賀公園)は、築城年月日や城主など一切不明ですが、
平手政秀邸址と伝わる辺りが政秀の城と考えられています。江戸時代には堀があったと
もいう。 信長関連:政秀寺 万松寺 清洲城 古渡城跡 吉乃(信長の側室)の生駒屋敷址


邸址正面の大きな石碑の碑文ですがご覧の通り読めませんが広くご参考までに拡大しました。
平手政秀。関連:平手政秀墓苑


邸址両側親柱の石碑に刻まれた紋章。


平手政秀邸址のある志賀公園。昭和9年完成の志賀公園は戦前市内では鶴舞、中村と並ぶ
老舗公園でした。名城公園(旧第三師団錬兵場)、白川公園(市街地で戦災後一時期占領
軍家族の住宅)、庄内緑地公園(河川敷で桑の木畑)など大型公園は戦後設立です。

黒川駅(その1) 黒川駅(その2,平手政秀特集)

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志賀本通(大曽根、循環右回り)当駅名城線次は 名城公園(名古屋港、循環左回り)

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