六番町駅周辺案内(名港線)

名古屋市交通局リンク:六番町駅時刻表 市バス時刻表 なごや乗換ナビ 地下鉄所要時間


左写真は六番町駅上を走る東海道新幹線六番町高架橋です。新幹線騒音公害の原点となったところです。
写真中は爆撃で堀川沿いに逃げ込んだ人々が爆風で川に飛ばされて大勢亡くなった白鳥橋付近です。
写真右は工場の一角(白鳥橋西)に建つ平和地蔵です。真新しい花が心を揺さぶるこの白鳥橋は名城
線神宮西駅のほうずっと近い 白鳥橋西、平和地蔵

終戦特集   熱田空襲


また駅から東南ヘ約1キロ行ったところには戦前から航空機製造の工場が多く立ち並び、
米軍爆撃の標的となっていました。時は昭和20年6月9日軍管区の空襲警報解除(情報
ミスと言われている)とともに職場に戻るとまもなくB29爆撃機42機の2トン爆
弾の猛爆に合いわずか8分の間に、中学2,3年の学徒動員男女218名を含む20
68名の貴い命が奪われました。米国側の当時の作戦報告によると初めての高性能2
トン爆弾121発をわずか8分の短時間に集中投下したと言う(熱田空襲を記録する
会の「紺碧の空が裂けた日」から引用)。
下記の「熱田空襲」のリンクをご覧下さい。
上の写真は爆撃で出来たコンクリート護岸の抓め跡とモニュメント、この日の爆撃の
地響きは約7キロ離れた中村区でも足から腹、そして頭に突き抜きあたり、また足に
戻る繰り返す感じで、恐怖そのものでした。この近く千年町から通学していた同級の
M君は片腕が吹き飛んで電線にぶら下がっていたと語ってくれました。
また終戦直前の豊川海軍工廠(8月7日女子挺身隊を含む2千数百名 の命が一瞬の内
に奪われた)の悲劇とともに忘れることは出来ません。一緒に中学へ通った機械科の
S君の可愛い妹の豊川海軍工廠での爆死を、通学の朝聞かされ 言葉を失い、彼もショ
ックで将来をも変えてしまいました。
関連リンク:豊川海軍工廠の記録−陸に沈んだ兵器工場
−戦争に関する資料館調査会(愛知県・名古屋市)


左写真は国道1号線白鳥橋西詰の平和地蔵、トップ記事参照。右は国道1号線1番1丁目交差点。


祐誓寺境内の碑は、熱田空襲の犠牲者の冥福を祈るために建立されたものです。
左は光耀寺。両寺とも熱田空襲の中心(旧愛知航空機)地にあります。 祐誓寺,光耀寺


慶長15年(1610)名古屋城築城の際、加藤清正公が堀川で巨石を運搬したが、
運搬船が度々遭難したため清正が宮崎の鵜戸神宮の札を受け、現在の白鳥橋下流200mの
西側に創建した。以来、海上、交通安全の守り神として深い信仰を集めている。
昭和14年、愛知時計電機の業容拡大により現在地に遷座。戦災で焼失の後、50年に立派に再建。
正面左側にまむし神社と書かれた立派な石碑があるが、まむしが多くいたことに由来している。
波限(なぎさ)神社


明治中頃、村の子どもたちが疫病で次々に息を引きとった。祈祷によるお告げで、
村人が総出で近くの池をさらえ、沈んでいた地蔵を引き上げたところ、疫病はおさまった。
村人は感謝して地蔵堂を建て、地蔵尊を祀った。その後地蔵尊は厚い信仰を受けたという。
熱田区役所説明文引用。 池中地蔵堂


1番割観音札所・身代わり地蔵尊。今でも国道1号線の無事故を見守り続けています。
胎内に般若心経1千巻が納めらています。


2番、3番割観音札所、熱田社東隣慈教寺境内にあります。慶安2年(1649)、
堀川筋から庄内川に至る地帯が新田開発され、御新田、熱田新田といわれた。
新田開発の守護として西国三十三か所の観音が安置された。熱田区には一番から
九番まである。熱田区役所説明文引用。


白鳥西公園内にあります。


4番、5番割観音札所。


八剣社。


左は10〜11番割観音堂 10〜11番割観音堂。 右は6番、7番割観音札所。
6番、7番割観音札所


8番、9番割観音札所。 8番、9番割観音札所
右写真は熱田新田の開発が進むにつれ、新田の北側に自然にできた道である。
くねくねと曲がっており、「百曲街道」といわれた。これは名古屋、下之一色、
熱田の分岐点を示す道標。熱田区役所説明文引用。


左は名港線六番町駅上を走る東海道新幹線六番町高架橋、国道1号線東方を撮る。
右は都市高速4号東海線の工事で新幹線のアーチを越える高所工事中の現場です。


右は駅西南約100mの名古屋市工業研究所。左は研究所東の東海線工事中の現場。2012,8,2撮影。

日比野(大曽根行き)当駅名港線次は東海通(名古屋港行き)

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